

1995年6月、僕が33歳の時、「日本にYEOをつくるので、そのリーダーをやらないか?」という誘いを受けた。
「YEO って何ですか?」と聞き返してみると、「YEOとはYoung Entrepreneurs Organi-zation(青年起業家機構)の略で、年商一億円を越える企業を創立した40才未満の起若手業家の世界的ネットワークだよ。デルコンピューターのマイケル・デル氏がその創設メンバーに加わっていて、北米を中心に1,000名超の会員がいる」、との答えが返ってきた。
さらには、「香港にもうすぐにYEOが設立される予定だ。このままだとアジアYEOの第1号は、香港に取られてしまう。日本は乗り遅れてもいいのか。」と、詰め寄られた。僕は「日本のために頼む」、とか言われると断りにくい性格だ。結局、「YEOのアジア第1号」という日本の立場を守るために、急遽引き受けることにした。それから3年間で僕の時間の3割以上をYEOに費やされることになるとは、当然その時点では知る由もなかった。
若手起業家として名だたる人々に直接電話して、主要メンバーを固めた。1995年10月16日に日本YEO設立パーティーをアメリカンクラブで開催した。香港YEOが設立されたのは、そのたった1日後の10月17日であった。
初代会長には、言い出しっぺの僕が就任した。副会長や理事は、皆30代前半の次代を担う起業家である。その当時は誰も上場しておらず、皆血気盛んであった。勉強会と称して、先輩起業家や有識者を集めてセミナーを開催した。セミナーの後には、必ず飲みにでかけた。飲み会の場での議論は、とても刺激的である。なぜならば、みな「俺が一番だ」と思っている人ばかりであり、しかも独自の哲学を持っている。議論になると、誰も譲ろうとしない。夜遅くまでよく語り明かしたものである。「日本における異文化との遭遇」、というようなワクワクする体験であった。そのときに、仲間が集まりYEOジャパンの理念と目的を明文化した。以下がその内容である。
日本を代表する若手起業家が集い、相互の交流・協力を通して以下を実現する。
その後、会長職を有力な人々が引き継ぎ、現在に到っている。フォーラム、運動会、例会、そして分科会と発展し、数多くの仲間ができた。YEOは、EOと名前が変り、気がつけばもう15年の月日が経過していた。理念の通り、ビジネスは繁栄し、自己成長を遂げ、生涯にわたる良き仲間ができていた。そして、EOは、僕にとってかけがえの無い場になっている。
